教師の見栄と子どもの事実ははっきりと分けて考えるべきである。
例えば、教室の掲示物。
これは多くの場合、教師の見栄である。
圧倒される掲示物を作ったとしても、子どもの事実がついていなければ本末転倒である。掲示物に費やす時間を授業の準備に置き換えたほうがよい。
子どもの事実。
多くの子が100点をとり、力をつけている。
これは大切なことだ。
一人ひとりにしっかりと力をつけてやることが教師の仕事なのだ。
しかし、休み時間や放課後に残して勉強させているのなら別だ。
休み時間は当然、確保してやるべきだ。
授業時間内で、限られた時間の中で一人ひとりの子に力をつける。
教師はそのために日々、指導法の工夫をしていくのだ。
学校での様々な取り組みにおいても、
「見切り」と「見極め」は大切だ。
どれだけの時間をかけて、
どれだけのレベルを目指すのか。
時間は有限である。
休み時間や放課後を残り勉に使うことは害が大きい。
そして、学校でやるべきことはたくさんある。
何が大切なのか。
当然、日々の授業である。
行事や取り組みに対して、
教師がどう考え、
どのように子供達に声かけをし、
どれだけの時間を使ってやっていくのか。
ここにも各教師の教育哲学が反映される。
自分はどうするか。
教師の見栄ははらない。
子ども一人ひとりの事実を大切にする。
限られた時間の中で、日々、指導法を工夫する。
休み時間や放課後は子どもの時間である。奪ってはならない。
自分は上記のような教育哲学をもって、日々の仕事を進めていく。