久しぶりに自分の愛読書『修身教授録』森信三 を読み返した。
やっぱりこの本はすごい。
今まで7回以上読み返しているが、まだまだ自分のものにできていない。
内容のすごさ、著者の誠実さ、熱意がひしひしと伝わってくる。
自分はこの方向で人生を進めていきたい。
1学期は出勤前の10分程度を使って、『松下幸之助 成功の金言365』を読んでいた。今日からは、松下本に変えて、『修身教授録』を読んでからいくことにする。
自分の人生の指針となる本は、毎日少しずつ読み込んでいったほうがいい。
あせらずにじっくりと時間をかけて、人生をかけて、この本を読み込み、自分のものにするのだ。
自分の頭の中に入れ込み、自分の実践に生かす。そこまでできて初めてこの本を自分のものにできた、ということになる。
こういうしだいですから、読書はわれわれの生活中、最も重要なるものの一つであり、ある意味では、人間生活は読書が半ばを占むべきだとさえ言えましょう。すなわちわれわれの人間生活は、その半ばはこれを読書に費やし、他の半分は、かくして知り得たところを実践して、それを現実の上に表現していくことだとも言えましょう。
『修身教授録』森信三より
このような生き方を自分は目指したい。
人生の半分を読書に費やし、正しく学び、その成果を残りの半分の生活に生かす。
これが自分の理想だ。
優れた本、自分にとっての良書を大切に読み込み、自分の人生の糧にする。
残りの人生60年、このように生きていこう。
それというのも、お互い人間として最も大切なことは、単に梯子段を一段でも上に登るということにあるのではなくて、そのどこか一ヵ所に踏みとどまって、己が力の限りハンマーをふるって、現実の人生そのものの中に埋もれている無量の鉱石を、発掘することでなくてはならぬからであります。
『修身教授録』森信三より
この文章も今の自分の胸に響いてくる。
上に登ることは、今の自分では考えられない。
そういう生き方はしない、と決めた。
管理職を目指さない。担当分掌も一任している。
定時退勤を徹底している。
だから、自分がこれから上に登っていくということはない。
あと30年間、下のほうでコツコツと仕事をしていくのだ。
そこで、自分のいる場所で全力を尽くす。
ハンマーをふるって、下を掘り深め、鉱石を掘り出してみせる。
このような覚悟で自分は生きていく。
『修身教授録』はどのページを読んでも、自分に響いてくる言葉がある。
もちろん、時代が違うので、内容を今の自分の時代に置き換えて読む必要はある。
しかし、内容は普遍のものだ。
毎朝、少しずつ、じっくりと、自分のものにするために読みこんでいこう。