JKJ
どちらも見切りと見極めが必要だ。
まずは、KKJ
自分に落ち度はあったか?
改善できる部分はあったか?
これははっきりってない。その場その場でしっかり対応はした。
誠意を尽くして自分のやるべきことをやった。
しかし、それでいても、こうやってトラブルになり、謝罪する場面も当然出てくる。
これも、毎月もらっているお給料のうちだと考える他はない。
これが見切りと見極めである。
次に、JKJ
これも自分は自分で最善を尽くした。
あとは当事者が頑張ってやるしかない。
自分の授業ではないので、途中で介入することはできない。
まかす他はない。
というわけで、どちらの件も、自分は自分なりのベストを尽くした。
自ら省みて、やましいところはない。落ち度もない。
だから、これはしょうがない。
しかし、しょうがない、で終わっていては次につながらない。
だからこそ、こうやって書き出し、次につながるような学びを積み重ねていくことが大切だ。
JKJ
学びは、授業の組み立てをシンプルにすること。簡明の原則、である。
ここが足りていなかった。自分にも見えていなかった。
これは誠意を尽くして対応するしかない。至誠は神の如し。
足らざる部分は素直に反省し、次につながるしかない。
ただし、暴言を浴びせてくる輩は心の中で明確に拒絶しておくこと。
いつかその態度が自分を破滅へと導くはずだ。
自分は反面教師として学んでいく。
誠意を尽くして対応しつつ、堂々と対面すること。向かい合うこと。
気迫では負けない。