校内研修について強く感じていることがある。
こんな研修をやっていては、100年続けても力はつかない。
なぜか。
授業後の検討場面、分析場面が欠けているからだ。
授業をやっているときの緊張場面はよい。
それを公開するために、あれこれ研究し勉強するのも大事だ。
そして、他の先生の授業をみて、分析していくことも大事だ。
しかし、この分析場面が全体では欠けている。
結構な授業でした。
どの子もがんばっていました。
素晴らしい授業をありがとうございました。
こんな感想で終わってしまっている。
これでは、本当の実力はつかない。
もちろん、精神的には楽である。
誰しも、あれこれ批判は受けたくはない。
だから、なあなあで、誉め殺しで終わってしまっている。
その授業は、本当は素晴らしくはなかった。
まずい点がたくさんあった。
子どもの事実も課題がたくさんだった。
それを見えていないのか、見えていても、「和の精神」で言わないだけなのか。
両方あるだろう。
こんな校内研修を続けていっても、実力はついていかない。
自分自身で教師修業をやっていくしかない。
日々の授業を向上させるために、校内研修はある。
職場の「和の精神」も、もちろん大事だが、本当に自分にとって役にたつ「授業力」を身につけるためには、課題の分析が必要だ。
では、こんな状況で自分はどうするか。
1 自分の信じる道で努力を続ける。
誉め殺しの罠にはかからないように注意し、自分自身で教師修業を続けていく。
毎朝の精密練習、日々の振り返り(実践ノート)、教材研究。これらをコツコツと続ける。
また、平素からの読書。基本文献の読み込み。
自主サークルへの参加。
研究授業を自分でやるばあいは、全力を尽くす。
本番までのノート作業をとことんやり、とことん研究する。
「子どもの事実」と「腹の底までの手応え」、この2つだけを評価の基準とする。
2 他の先生の授業を自分で分析する。
今までの学びを活用して、自分でその授業の良かった点と悪かった点、改善点を分析していく。自分でノートに書き出し、そこからの学びを自分の実践に生かしていけばよい。どんな授業からでも学ぶことはできる。
3 無駄は省く。
自由参加の時はいかない。時間が無駄である。
教室にこもって自分でコツコツと仕事を進めていくほうが100倍よい。
参加必須のときは、ノート作業で、自分の知的生産を行う。
会に参加しながら、ノートを書いていけば、自分のためになる。
4 群れない、媚びない、ブレない
自分は職場では群れない。職場は仲良し集団ではなく、仕事をする場である。自分のやるべき仕事をきっちりとやる。そして定時になったらさっさと帰る。